Informationお知らせ

家族写真物語 5〜家族写真は、家族愛の歴史〜

 

子供の頃は疎ましく感じた写真の多さ

 

少年の頃は親が撮影した私の赤ん坊の頃の写真の量をとても疎ましく感じておりました。

「何故こんなに馬鹿みたいに大量の写真を撮るのか」「しかも同じような写真を何枚も」

「捨てたい」「整理したい」「本当に必要なものだけを残したい」

子供ながらに、韓国人の祖父と日本人の祖母、その娘である母親の元で父親なし、という少し複雑な家庭環境で育った私は、独立願望が大きく、自分の部屋には自分の物以外のものを置きたくなかったり、あとあと家族がなくなった時に誰のものだったかが解らなくなるような整理に困るほどの衣服や雑貨などに嫌気がさしており、不要なものを見つけると物を大切にしたい家族とはよくケンカをしたものです。特に絶対に着ていないであろう家族の衣服や知人や親せきにいただいたが気に入らない衣服など、すぐに捨てようとしていました。

症状がひどい時には自分が気に入った全巻揃えた漫画本を、漫画の趣味が変わったからといって簡単にゴミ捨て場に捨てたりしていました。

そんな私でしたから、押し入れの中に無造作に詰め込まれたアルバムやホームビデオテープの数々などは疎ましくて仕方のないものでしかありませんでした。

元々父親がいない家庭で育った私は、もしかすると、父親の愛情変わりにあつらえたかのような物だらけの家庭そのものを疎ましく思っていたのかもしれません。

思い出せば、自分以外の友人には皆父親が居て、何故自分にはいないのか、理不尽だ、などと父親愛にも飢えていたのかも知れません。その数ある写真の中に父親が写っていなかった、というのも許せませんでした。なんでも、父親とケンカ別れした際に母親が全て破り捨てたとか。しかもこの時私は母親や祖父に「父親は死んだ」という嘘をつかれていました。

 

 

大人になって感謝する親が撮影した写真の数々

 

やがて私は10歳になり、まず祖父が他界します。
続いて、もともと体が弱かった母親もしばらくして
病気で他界してしまいました

死後直後、少しでも優しかった母を思い出したくて母が撮影した家族写真の数々を涙をふきながら見たのを覚えています。その時初めて、「こうゆうときの為に撮っておいたのか」

と気づかされました。その母親が撮影した家族写真の数々が貼り付けられたアルバムは、どんな漫画よりも飽きる事のない一冊の家族の物語が描かれた絵本のようなものでした。

しかし母親が撮影者になっていたせいか、母親の写真が私や祖父・祖母の写真よりも極端に少なくなっていたことには落胆しました。

それでも赤ん坊の私を抱きかかえる母親の姿を撮影した一枚は、私の事を確かに深く愛してくれていた母がいたという「証拠写真」になりました。

 

自分の歴史にもなりうる写真たち

 

私が二十歳を過ぎたころに丁度祖母が亡くなり、私の家族の本当の歴史を知る人物が私のみとなってしまいました。

ですが、もう一つ歴史を語るうえで重要な書物が残っていました。母親がため込んだ、幼い頃私が疎ましく感じたアルバムの数々でした。アルバムには、母親が幼い頃の写真から残っていました。

母親がどんな所で生まれ、どんな友達と一緒に過ごし、どんな所へ旅行にいき、どんな育ち方をしたかが写真からは見受けられました。いつからカラー写真に切り替わったか、実家はいつ建築されたのか、その時の実家周辺は今現在とどう違うのかなどが色濃く映し出され、同じ場所とは思えない、異世界の写真を見ているような感覚にとらわれました。子供のころは殆どどこにも連れて行ってくれなかった母親が(おそらく)ハワイに旅行にいっていたのには驚かされました。

ほかにも祖父の喫茶店を手伝っていた時に、コーヒー豆のひき方を祖父に注意され、家を飛び出し三日間帰ってこなかったエピソードなどを耳にすると、意外や母親はお嬢様だったのかもしれません。

そんな母親が、生前は私に厳しくもあり、父親代わりをかって出ていたのです。写真からは想像もつきません。というか、生前の母を知る私からすれば、写真の中の母こそが信じらない感覚でした。人はどうやら変わってゆく生き物のようです。

 

無き家族との思い出の家族写真

 

実は、写真に写っている私を私は殆ど覚えていません。そうゆうものと言ってしまえばそれまでなのですが、3歳くらいの私が傘を持ちながら裸足でアパートの廊下を練り歩く写真や駐車場の中でふざける写真、遊園地でふざける写真、祖父、祖母と大きな公園へ出かける写真。

どれも、すぐに忘れそうな何気ない家族写真です。人は何気ない風景に価値がある事を本能的に知っているのかもしれません。この中の私以外の家族全員が既にこの世にいないのに、この写真の世界のなかではいまだに全員が主役です。とてもみな生き生きしていて、今でもどこかで生きているのではないかと思うほどです。

しかしいかんせん、祖父と祖母と一緒に写る私の姿が目立ちました。何が忙しかったまでは不明ですが、生前はとにかく忙しそうにしていた母。殆どまともにかまって貰った記憶がありません。ただ大好きであったという記憶だけは、心には残っていますが、写真には一枚も残っていません。結婚し、子供も授かった今でも確信がもてる事があります。よく親の愛より強いものはないと言いますが、幼い頃は逆ではないかと思います。子供が母を求める純粋な愛ほど儚く、力づよい物はないのではないでしょうか。

 

今では私が写真マニア

 

あれだけ少年の頃は写真を嫌った私ですが、今では妻と二人の子供を授かり、暇があれば子供の写真や動画を撮影しています。母親の、子供の写真を撮りまくりたいという気持ちをいやというほど痛感しています。

今しかない子供の輝きをどうしても画像として保管しておきたいので、もしかしたら私の母親より撮影しているかもしれません。しかし、幼い頃の写真の尊さにきずくことが仕事の多忙で少し遅れてしまった私は、母親よりも写真の撮りだしが遅く、長男に至っては数枚しか残せておりません。その事を今でも非常に後悔しております。

現在の私の最大の悩みは、動画や写真の最も適した保管方法とは?です。今では当時と違いブル-レイや外付けハードディスクなどといった保存方法が多すぎて、結局どこにもまだ保存できていません。

そして実家を引き払う際に持ってきた母親が撮りためた家族写真を整理し、家族の歴史順に丁寧に並べ替えるなどして大切に保管しています。写真への考え方が変わったせいか運命か、実家の遺品整理をしている際には母親と父親の披露宴の際のアルバムが見つかりました。当時私は30歳でしたが、父親の顔を初めて知りました。それまでの人生においては父親の存在は私には必要なかったのかもしれませんそして30歳にもなったんだから、父親に会うか会わないかは自分で決めなさい、と母親が教えてくれたのかも知れません。高校3年生の時に、実は生きているという真実を祖母から知った私ですが、勿論会いたくはありません。自分に直接かかわった記憶がない人間に単純に興味がなかったのです。

家庭を持った今では、向こうが会いたいと言って来たら会ってやってもいいかな、というぐらいです。こんな父親にはなりたくないものです。

現在の私の家庭の状態もいつまで続くかわかりませんが、写真として残しておくことの大切さを他の誰よりも理解しているつもりです。

特に、どこかに行ったときの写真やなにかイベントがあったとき、おめでたいときの写真ではなく、何気ない普段のありきたりな風景です。

そこにこそ、本当の家族の形があるからです。そして、家族写真から映し出される愛の形は、どんな家庭の家族写真においてもそれが「愛されている証拠写真」になります。それを知っているからこそこれからもし息子に疎まれようとも家族写真を残し続けていこうと考えております。子供が大きくなったときに必ず愛された証拠写真として、本人の財産になるからです。

私にとっての家族写真は、家族愛の歴史であり証拠であり、証言者です。子供が今の私くらいの年齢になるまで、家族写真は撮り続けていきたいと考えております。

 

家族写真・ペットと家族写真撮影は福岡市フォトスタジオ原田写真館Since1969 (香椎参道通り)

原田写真館 福岡市東区香椎1-12-6
家族写真HP http://family-haradaphoto.com

(ペットと)家族写真 フォトギャラリー
http://family-haradaphoto.com/gallery/

 

原田写真館 オフィシャルサイト