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家族写真物語 8 〜私達の家族写真〜

私達の家族写真

私達家族は、両親と三姉妹の5人家族で男性は父ひとり。

どれ程、私が男である様にと願っていたのだろうと思います。

父は旅行へ行くのもひとりでふらっと出かけお土産を手に帰って来て嬉しそうに頬張り、父は作ることも好きなのでよく色んな料理を作ってくれます。サンドウィッチにホットケーキ、汁物に酒の肴。

姉たちには不味かったらしいけれど、私は意外とおいしくないのが好きでした。

何より父の「食べるか?」という嬉しそうな顔が食べようかなという気にさせていました。

 

私たちが成長してから父はかなり丸くなり旅行にも行くようになりました。それまで家族旅行は殆どし

たことがなく、家族で写真を撮った記憶も私には山へハイキングに行った1度位しかありませんでした。

家族で近場の山へハイキングに行ったり両親の田舎へ帰省したり、春夏秋冬、季節を感じ様々な景色を

見に電車やバスを乗り継ぎ色んな所を歩いて行きました。

私達は今まで行けなかった家族旅行の思い出を作るように沢山写真をとりました。そう、子供の様に。

家族写真はリュックやカバンを積み重ね、カメラやデジカメ、スマートフォンを置き皆で撮ります。

人に撮ってもらうことも極たまにあるけれど、殆どこの方法で撮影します。誰一人として、なぜか誰か

に取ってもらおうとは言わなかった。

私がタイマーを10秒くらいにセットして、もうちょっとこっちとか言いながら家族の立ち位置を把握

してシャッターを押し急いで私の位置へ滑り込む。そんな風景を家族で楽しんでいました。

時にはそんな風景を不憫に思い、撮影しましょうか?と聞かれることもありますが、やはりなぜか皆

口々に「いえぇ~いいですぅ~」と断る。家族写真を撮ってもらうことに慣れていないせいもあるけれ

ど、私たちはやはりこの撮影方法が楽しく、旅行する場所などどこでもよい位にこの行為自体を楽しんでいるのです。

そして姉の勤続30周年と父の喜寿を祝うため、家族で富士山を見に旅行へ行くことになりました。

 

父の喜寿

富士山では気候も良く、「ここから見る眺めがお金に書かれてる景色のところやでー」と姉は言い、

「へー」と皆口々に少しだけ感動していた。そんなことより、間近にみる富士山をただただ見ていたか

った。湖で時間を気にすることもなく、ただぶらぶら歩きながら写真や動画を撮り旅行を楽しんでいま

した。そして、この時も私達のお決まりの撮影方法で家族写真をパシャ!パシャ!

座っている両親越しの私達を取るときは、シャッターを押してフルスピードで走り抜ける。

必死な私達とは対照的に涼しい顔をして富士山を見ている両親。

 

父はじっとしていると日本猿に似ていて動画で撮っても面白いけれど写真で撮ると昆虫を見つめてい

る子猿や花を不思議そうに見ている猿にみえる。父も写真を撮るのが好きなので携帯を片手に色々なも

のを取っていました。時には動画になることもあり、皆で笑ったりしながらひとしきり撮影を楽しん

で夕食のレストランへ向かった。

レストランで夕食をしながら父の喜寿を祝い、来年はお母さんやなと会話して店を後にする。

店を出ると夕日で富士山が赤く染まっていた。赤富士。いいことがあるらしい。

またまた、家族写真撮影会の始まり。皆富士さんと一緒に記念撮影。良い旅となった。

 

 

金婚式での家族写真

結婚して50年、両親の金婚式を祝う日が来た。富士山の2年前、父は75歳で母は74歳。

市役所から金婚式の祝いの行事があると招待されました。二人とも「えぇーぇ」と嬉し恥ずか

しそう。しかしイベント好きな父はきっと行きたいはず。色々おだてまくって父にスーツを着せ、母に

着物を着せ髪をセットして写真館へ連れて行った。

そこでも二人は「そんなん、いらんよ。いいよ」といいながら「まぁ、死んだときの写真になるかも知れんからな」と母。しかし父はこの手の言い方は嫌いで臍を曲げるかと思ったけれど、意外とすんなり金婚式祝い撮影に応じた。

二人で並んで胸を張って記念撮影。ちょっと照れている。やはりかなり嬉しい様子。

写真館にいる間も動画と写真は撮っている。撮られていることも知らない二人は自然で、まだ撮るのか?などと結構乗り気で嬉しそうでした。写真館で金婚式記念撮影ができて良かった!

撮影が終わり、記念式典へ行った二人。金婚式のお祝いをして後日届いた写真館のふたりは、意外と納まり良く穏やかな雰囲気の写真に出来上がっていました。

 

 

父と母の米寿祝い

ダイヤモンド婚から2年の87歳の父に米寿の祝いをしようと私たちは金色のもの探していました。

意外と理想とする米寿の金色の服は無く、1ケ月前に思い立った私は焦りました

そして米寿の祝いは88歳で祝いをする地域や、前年の87歳の時に祝いをする地域もあり、数え年か

実年齢なのか、どうするのか色々迷っていましたが、母方の伯母達が前年にしていたことや父の時間が

迫ってきているかもしれないと思っていた私は今年することにしようと姉に伝えました。

両親の年齢が1歳差という事もあり、今年は87歳の父と86歳の母を祝い、翌年88歳の父と87歳

の母を祝うことにしました。すなわち、実年齢88歳を境に前後の年で米寿の祝いをすることにした。心の中で、もしできなかったとしても・・という思いがあるなか、米寿の祝いをすることにしました。

 

お揃いで金色の服を購入せず、まずは黄色のトレーナーを購入し母は施設で着替え、横になっている父

にトレーナーを掛けた。もう写真館には行けなかったけれど二人で記念撮影をしました。

じっと母を見つめる父はもう何も話せない。

富士山へ行ったことも翌年には忘れていた父。

何となく記憶があったのか無かったのか、富士山のことは殆ど口にしなかった。しかし、私たちはそれ

でも事あるごとに家族でいつもの集合写真を撮り、その姿を常に笑って撮影していた。

 

旅立ちと思い出の家族写真

米寿の祝いをしてほどなく、父はあっけなく旅立った。私たちに何も告げず。

富士山からの年月、何度もこれが最後と言われても生きていてくれた父。

不思議と受け入れられた。

富士山より以前から始まっていた父と父の脳内で行われていた戦い。

その月日と戦いを知り、追うごとに私たちの心は穏やかな父の死を受け入れることができる様になって

いました。深夜、思い出の地を巡り自宅へ帰ってきた父とゆっくり過ごすことができた。

もう話さない。けれど、家に帰って来られたことが私たちはとても嬉しかった。

 

葬儀の準備が始まり、旅の支度への選択が始まる。その中に、写真をどうするか・・という話になった。

私達は子供の頃、山へハイキングに出かけたときに撮影した父の写真が気に入っている。

しかし、それはとてもラフな格好で座っていて、おそらく父は納得しないはず。というのが分かってい

た。悩んでいると、金婚式の写真にしようかという事になった。しかし、それは固く口を閉ざし緊張し

まくりの父の姿で撮影されていたので、本来の父の姿ではないような気がすると皆思っていた。

でも多分、イベント好き、お祭り好きな父はこの写真で遺影を作って欲しいと思っているはず。

そう思い、金婚式の写真で作って頂くことにした。

青い背景に緊張しているのか、笑っているのか、ほくそ笑む父の姿。意外と悪くなかった。

今にも「えっつへん!」と冗談で言いそうな感じがした。

 

私達もそんな父の顔をいつもニヤニヤしながら毎日みている。そして話しかけている。

写真にこんなにも話しかけると思っていなかった。もうここにはいないけれど、そこにいる。

話さないけれど、こっちを見ている。悪さはできない。

今までと同じ雰囲気と威厳を漂わせ、今、お父さんどこに旅しているのかなぁと思える空間ができている。

写真には私達を悲しみから救ってくれる時もあるし、いない現実を突き付ける時もあります。

でも、写真を見ると話しかけ、聞けない声を感じ、大丈夫と考えられるようになります。

 

家族写真・ペットと家族写真撮影は福岡市フォトスタジオ原田写真館Since1969 (香椎参道通り)

原田写真館 福岡市東区香椎1-12-6
家族写真HP http://family-haradaphoto.com

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