Informationお知らせ

家族写真物語12〜還暦を迎えた記念に家族写真〜

私の家族

私の両親は父が23歳、母が25歳の時に結婚しました。よくある職場結婚だそうです。2人とも高校を出てすぐに勤めていたので、母の方が2年先輩でした。世のお母さんあるあるかもしれませんが、母は自称「昔はモテた」人だったらしい。その言い寄られた何人かの1人が父だったとか。なぜその中からあえて父を選んだの?と言いたいところですが。まぁ色々あってめでたく2人は結婚したそうです。その後順調に家族が増え、兄、私、妹の5人家族に。母に、「若い時に結婚したんだね」と言った事がありますが、当時としてはそれほどでもなかったと。

しかし、自分が30を過ぎてから子を持ったので、やはり20代半ばで親になるのは大変だったろうと思うし、特に父はまだまだ遊びたい盛りだったんじゃないかと思います。母は、兄が生まれるタイミングで仕事を辞め、専業主婦をしていました。若い父だけの収入でどうやって暮らしていたのか、と、今自分で稼ぐようになってからは本当に不思議に思います。かと言ってどこにも遊びに連れて行ってもらえなかったとか、生活に苦労したとかいう覚えはありません。むしろよく家族で旅行したりレジャーに連れて行ってもらったりしていました。きっと母が上手くやりくりしていたんだろうな、と感心しています。

私が小学生になった頃、父は転勤になり単身赴任することになりました。父と母の間でどういった話し合いがあったかは知りませんが、兄と私は学校に行き始めていたので、転校させるのは可哀想だとかそういった理由だろうと想像しています。当時は妹も生まれており母は子ども3人を、今で言うワンオペで育てていました。そのためか、妹は父と一緒に過ごした記憶がほとんどないと言っています。その後も父は国内外を単身で十数年過ごしていました。60歳になる数年前にようやく自宅から通える先の勤務になったと記憶しています。

父の還暦祝いに家族写真

そんな仕事一辺倒の父がついに42年間勤めた会社を定年退職することになりました。この長い年月の間には、私たち子どもには想像もつかないくらい辛い苦しい思いをしたことでしょう。父の性格は、こだわりが強く神経質。そのくせ小心者な一面もあるのでその苦労は容易に想像できます。大人になるまで特に考えた事はなかったのですが、お金の心配をせずに進学させてもらえたのは、紛れもなく父の頑張りのおかげなのです。

そこで私は、兄と妹に声をかけて、父の定年と還暦を兼ねたお祝いの会を開く事にしました。どんなお祝いをしようか、と考えている時に、ふと昔に父がこぼした言葉を思い出しました。「みんなで家族写真を撮ってみたい」と。

これは私が大人になってから知ったのですが、父は幼少期に母を亡くしていました。詳しい時期は知りませんが小学校に上がる前と聞いています。その後、後妻として迎えられた、養母に育てられたそうです。これが私の知っている祖母です。父と祖母は、当時子どもだった私の目から見ても折り合いが悪く、というよりも一方的に父が嫌っているように感じ、私としては少し寂しい気持ちがありました。私は当然父の実母とは会った事がありません。しかし父の口からは未だに朧げながらの実母との記憶が語られることがあります。当然ながら、記憶の中の実母に対して特別な思いがあるのでしょう。そんな父だからこそ、家族への思い入れが強く、自分たち夫婦2人で築きあげてきた「家族」の姿を形にして残したかったのかもしれません。

もちろん、これまで私たち一家は家族写真なんて撮った事はありませんでした。この機会を逃しては中々次はないだろうと思い、早速、父の誕生日が近い日に写真館での家族写真撮影をお願いしました。

いざ家族写真撮影へ!

家族写真を撮影したのは今から7年ほど前。その頃、兄と私は共に結婚しており、兄夫婦には子どもが2人いました。妹はまだ両親と同居していたので、3世帯合計9名の集合家族写真です。写真館で撮影してもらうなんて、父母にとっては初めてだし、プロのカメラマンに撮影してもらうのも2人の結婚式ぶりだったはずです。何日も前から、何を着ていくだとか、髪型はどうするとか、普段ろくに化粧をしない母にいたっては、どうやってお化粧したらいいか分からないなどと言い出すし、もうてんやわんやでした。さらにはまだ幼い兄夫婦の子どもたちか体調を崩さないかヒヤヒヤしながらなんとか家族写真撮影当日を迎えました。

悩んだ末に、父は普段より少し良い格好を、母は祖母からもらった着物を着て撮影に挑むことになりました。私たち大人は思い思いの服装で、兄の子どもたちは普段あまり着ることのない一張羅でやってきました。子どもたちは5歳と2歳。何が始まるのか分かっているのか分かっていないのか、でもどこか他所行きの面持ちでした。そしてついに撮影が始まりました。前列の中央に父と母と、初孫である兄夫婦の長子が座り、後列に私たち夫婦と妹、そして兄夫婦とその末子が抱っこされて映ることに。やはりプロからカメラを向けられると少し緊張してしまう。大人でもそうなのに子どもたちは大丈夫かと心配していたけれど、さすがそこはプロ。自然な笑顔が引き出せるように上手く雰囲気を和ませてくれました。主役の父は少し硬い表情でしたが背筋をしっかり伸ばし、どこか誇らしげに見えます。母はいつも通りの優しい笑顔を向けています。父と母の夫婦2人から始まった家族が、数十年経った今この9人に増えたんだという誇りと幸福感に満ちている。そんな表情に見えます。

家族写真はひっそりと

撮影された家族写真は、額縁に入れて父母にプレゼントすることに。みんなで選んだ額縁に入れるとより一層、家族写真が引き立ちます。これを受け取った父母はどんな反応を示してくれるかとても楽しみでした。写真を贈る日は、家族みんなが父母の家に集まり食事を楽しみました。そしてこの日のために用意した赤いセーターと一緒に、家族写真を贈ったのです。父は照れ隠しもあって大袈裟に喜んでいました。そして、ごまかしていたようですが私はしっかり見たのです。父の涙を。そしてそれを見守る母の笑顔を。3人の子どもたちとその伴侶、2人の孫に囲まれて本当に幸せそうでした。

あの日から7年が経ち、あの時撮影された家族写真は今もひっそりと父母の家に飾ってあります。目立つところに飾るのではなく、和室の隅にひっそりと飾ってあるのが、いかにも父らしいなと思いながら父母の家に行くたびに眺めています。きっと父母も何かの拍子に目に入った写真を眺めては、家族写真を撮影したあの時の気持ちを思い出しているのでしょう。

つながる命を実感できる大家族写真

先日、あの家族写真を見ていると、私の傍で幼い娘が、どうして私はいないの?と不思議そうに尋ねました。まだ生まれてなかったんだよ、と説明すると不満そうに拗ねてしまいました。7年が経った今、私は2人の子の母になりました。同じく妹も数年前に結婚、出産を経験し、兄夫婦のところにも、もう1人子どもが生まれました。ありがたい事に、7年で家族が更に5人増えたのです。父母のずっと前の代から続いている命が、今もこうして脈々とつながっています。今では私たち子どもとそれぞれの伴侶、孫全員が集まると総勢14人。撮影時に幼かった2人の孫もずいぶんと大きくなって、もう家の中はぎゅうぎゅうです。それほど広くはない父母の家で、みんなが食事を取るともうしっちゃかめっちゃか。それでも部屋の隅に追いやられながらも手酌でお酒を飲む父はとても嬉しそうにしています。

新たな家族写真撮影計画

実は私はまた新たな計画を練っているのです。そのきっかけは母の一言。7年前、父の還暦と定年祝いの時に、母はボソッと呟きました。「お父さんが勤めあげられたのは私の支えのおかげもあるのにな」と。私はこの言葉にハッとしました。そうだ。父が思う存分働けたのは、母が父不在でもしっかりと私たち子どもと家庭を守ってくれていたからだ。全然気がつかなかった。そしてその母の言葉は、自分が親になり子育てにおける様々な悩みに向き合っていく中で、年々重みが増してきたのです。

今年、母は70歳になります。そう、古稀のお祝いにまた写真館で家族写真を撮ってもらおう。今度は写真の枠からはみ出さんばかりの総勢14人の大家族で。

家族写真・ペットと家族写真撮影は福岡市フォトスタジオ原田写真館Since1969 (香椎参道通り)

原田写真館 福岡市東区香椎1-12-6
家族写真HP http://family-haradaphoto.com

(ペットと)家族写真 フォトギャラリー
http://family-haradaphoto.com/gallery/

 

原田写真館 オフィシャルサイト
https://www.harada1969.com