家族写真物語

還暦・喜寿・傘寿のお祝いに家族写真を撮って

節目ごとに家族写真を撮って

8年ほど前に亡くなった父の話です。

うちでは、私の実家の近くにある写真館で、節目ごとに家族写真を撮ってもらっていました。覚えている限りでは、私と妹のお宮参り、七五三、小学校の入学式、成人式、大学の卒業式・・・といった時に、家族全員で写真を撮り、きれいなアルバムにしてもらっていました。

家族写真を撮るのは、子供である私と妹の節目を記念するため、と思っていました。

だから、父や母を中心とした写真を撮る、ということは、あまり意識していなかったのです。

父中心の家族写真を撮ろうと思ったきっかけ

もともと、父は自分がカメラを構えて私達子供の写真を撮ったり、写真館に手配をして記念写真を撮ってもらったり、ということをしてはいました。しかし、自分自身を中心にして写真を撮る、ということはめったにありませんでした。

しかし、その考えを変える出来事が起こったのです。

それは、60歳の還暦のお祝いをしたころでした。

私と妹はすでに結婚して実家を離れており、還暦を祝うために久しぶりに実家を訪れました。母の手作りの料理や出前のお寿司、それから私達の送った花束が華やかに並ぶ席で、母に思いもかけない話を聞かされました。父がパーキンソン病にかかってしまったらしい、という話でした。

近所にもパーキンソン病にかかった人がいて、その大変な闘病生活は耳にしていました。みるみるうちに悪化して、外に出られなくなり、寝たきりになってしまう、というのでした。

その時は、父は手の震えの症状はありましたが、それほどひどいことになりそうには思えませんでした。

しかし、もしものことがあったら、ということで、せっかくのお祝いなのに、場が重くなってしまったのでした。それで、私が提案をして、この機会にみんなで写真館に行って、還暦の記念写真を撮ろうということになったのです。

還暦の記念家族写真

その時の思いとしては、これが最後の家族写真になるのか、と少し悲壮感の漂う思いでした。

でも、病気が悪化して、外に出られなくなったり、ひどくやつれてしまったりしたら、みんなで写真を撮ることなどできなくなってしまうのではないかと思いました。

今は元気な父の姿をとどめておきたい、という気持ちでした。

写真館では、定年退職したばかりの父が、久しぶりに背広を着て、それなりにりりしい姿で写真を撮ってもらいました。そのあと、私達家族も全員でカメラの前に立ち、写真に納まりました。

今その家族写真を見直すと、皆、笑顔だけれども、何となく緊張した面持ちで映っており、その時の重苦しい気持ちを反映しているように思います。

でも、それからだんだんと老いていった父母が、まだまだ若かったことも感じられます。

喜寿のお祝い写真

そのあとみんなで写真を撮ったのは、父の喜寿のお祝いの時でした。

その頃、父のパーキンソン病は、だんだんと手の震えがひどくなりましたが、それほど生活に支障が出るわけでもなく、私達はほっと胸をなでおろす感じでした。

薬が効いていたのと、もともと丈夫な人だったことが幸いしたのでしょう。しかし老いは父にどんどんと迫ってきていました。

膝や腰が悪くなって、姿勢が前かがみになり、歩く姿も老人らしくなってきました。また、一番困ったのは、幻覚が見えてしまうようになり、レビー小体型認知症と診断されたことでした。

それでも、父の記憶力や判断力はあまり衰えることはなく、自分の症状や老いていく自分の人生について、色々と考えることが多くなったようでした。

身の回りの友人知人の中には、だんだんと亡くなる人が増えてきて、年に何度もお葬式に参列するようになって、そんな中でそのうち自分も、と思うようになったようです。

そんな中で、77歳の誕生日を迎えることになり、妹と私でお祝いを計画しました。実家の近くの料理屋で私や妹の家族、つまり孫たちも一緒に集まって、ごちそうを食べる用意をしたのです。

その連絡をすると、父はまた記念写真を撮りたいというのです。父はもともとあまり写真を撮られるのが好きではないと思っていたので、意外に思いました。

しかし、父が言うのです。「遺影に使いたいから」、と。

記念写真を遺影に

父は友人たちのお葬式に参列して、様々な遺影を見たそうです。それは、うんと若い時の写真だったり、ぼけた写真をむりやり引き伸ばしたものだったり、「なんだかな・・・」と思うような遺影も多かったそうです。

ある意味では「いいカッコしい」の父にとっては、亡くなった時よりうんと若い時の写真と言うのは、「ずるい」と感じられたし、ぼけた写真は「幽霊みたいでイヤ」なのだそうです。

だから、元気なうちにきちんとした写真をプロに撮影してもらって、それを遺影に使いたい、というのでした。確かに、葬儀の時には慌てて遺影用の写真を探さなくてはいけないために、ちょっと変な写真を無理やり使ってしまう、というのは、夫の父の葬儀の時にも体験したことでした。

認知症といっても判断力はしっかりしている父ですから、きちんとした写真を前もって用意しておきたいと考えるのも無理はないと思いましたが、「遺影をわざわざ事前にとっておくって縁起悪くないかしら」という気持ちも、私達子供にはありました。

でも、頑固な父の言うことに逆らうことはできなかったし、お祝いの写真を撮ること自体は悪いことではありません。すぐに、いつもの写真館にお願いをして、みんなで家族写真を撮ることにしました。

パーキンソン病では、じっとしているとだんだんと手が震えてきます。

きちんと動かずに写真を撮れるのか、と心配もありましたが、父はきちんと礼服に身を包み、カメラに納まりました。

そのあと、私や妹の夫や子供たちも含めて、賑やかに集合写真を撮りました。みんなで12人の大所帯での写真で、笑顔の溢れる記念撮影となりました。

最後に撮ったのは傘寿の記念写真

だんだんと老化が進み、足も不自由になってきた父でしたが、がんで亡くなった83歳まではほとんど自宅で過ごしました。

喜寿のお祝いで撮った写真は、父だけの写真はしまいこまれていましたが、みんなで撮った家族写真はリビングにいつも飾ってありました。それを見て、父も満足そうにしていました。

傘寿のお祝いの時は、がんが少しずつ進んで体が弱ってきており、杖や車いすが必要でした。そのため、お祝いをするのは外食ではなく、実家のリビングを使うことになりました。リビングにケータリングの料理を並べて、親戚一同が並ぶ中で写真を撮ればいいのではないか、と思ったのです。

しかし、父はやっぱり写真館で家族写真を撮りたい、というのでした。

そこで、思い切って写真館に連れていき、父だけの写真とみんなの家族写真を撮りました。

父は一張羅の上着とループタイの姿でしたが、椅子に座ってもらって、堂々とした笑顔で写真を撮ってもらえました。みんなで、「おじいちゃん笑って、笑って」と声をかけたのもいい思い出です。

パーキンソンでは無表情になるのも一つの症状としてあるのですが、その時は良い笑顔でした。孫の手前、結構頑張ったのだと思います。

震えている手も、ぶれないで綺麗に映っていたのは、やっぱりプロの技でした。

亡くなった後、もちろん、この写真を遺影に使いました。

参列した方たちにも、「イケメンにうつっているね」とほめていただくことができました。

今でも、実家のお仏壇には、この笑顔の写真が飾ってあります。

 

大人の家族写真・ペットと家族写真撮影は福岡市フォトスタジオ
原田写真館Since1969 (香椎参道通り)

福岡市写真館 原田写真館 オフィシャルホームページ

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